悔い改めに導かれる

ロマ2:4「それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか」
意外に多くの人が「悔い改め」のギリシャ語「metanoia(メタノイア)」を知っています。それは基礎神学を学ぶときに必ず出てくる必須の単語だからです。慈愛とはあまり使わない日本語ですがギリシャ語「chrestos(クレストス)」の訳で、もともとは寛容や善を表わす単語です。神は忍耐と寛容をもって、人の行なう間違いを見ておられます。それは人をさばくことが神の領域だと気付かせ、やがてさばくことが間違いだと知り、悔い改めることを知っておられるからです。人が神から離れている状態が「罪」です。何かの違反やミスを犯したから罪と定められるわけではありません。神を知るときに「罪」ははじめて人に明らかにされます。神を知らずに罪を悔い改める人がいたらビックリです。神と律法は一体で、 神から離れることは律法を犯すこととおなじ意味になります。どんなに神の存在を否定しても、事実は変わりません。神は確かにおられ、生きているのです。神が人を造ったときから、人を悔い改めに導く忍耐と寛容を覚悟したと思います。それは、とても人には耐えられない神のみが知る苦しみではないでしょうか。それでも忍耐の末、人が神を知り悔い改めるとき、神の栄光が輝き、天では大きな喜びに包まれるのです。主の愛の中には寛容と忍耐があり、やがて人もこの性格を引き継ぐものとされるはずです。