信仰が義

ロマ3:28「人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです」
世の中に絶対正しいものがあるなら、それは神の言われたことでしょう。人だけの判断ならば、ある人にとっての正義は別の人の悪であり、不都合なものなのです。これは人がそれぞれに判断した結果に生まれたもので、誰かを愛する前に自分を愛したために、自己中心的な考えが優先されるために起こることです。そういう意味においては、現在の世界の混乱の根源は、アダムとエバが善悪を知る実を食べてしまったことに起因しているのではないでしょうか。彼らが正しく神からの教育を受け、定められたときに善悪を知る実を食べたなら世界は変わっていたかも知れません。神の義は世界が造られた最初から変わらず存在し不変のものです。しかも、それは何かをしたかによって判断されるのではなく、信じ る心によるのだとパウロは説明しています。その信じるものはキリストがすべての罪を負って死なれ、よみがえったということです。神はイエス様を義とされ、イエス様を信じる信仰はそのまま「義」として受け入れてくださいます。イエス様を信じる信仰がこの世界にある唯一の「義」であり、それ以外の何ものも神が義として認めるものはありません。自分に罪があると認める人なら誰しも、正しくありたと思うはずです。その答えが「信仰」なのです。