願いや努力によるのでなく

ロマ9:16「したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです」
何事も人の願いや努力ではない、と言われても願いのない人などいませんし、何かの目標を持つことで努力をするようになるのです。さしづめ日本では安定した裕福な生活がしたいと、良い大学を目指して勉強し、優良企業を目指して頑張るわけです。しかし主の前でどんなに金持ちになろうと、主の関心を集めることはできません。主の関心事はただひとつ、その人に信仰があるかどうかです。そういう意味においては人が金を追い求める人生はなんとむなしいものでしょうか。聖書はそうではなく、信仰による神への信頼が人を生かすのだと説明しています。たとえこの地上で栄華を極めたとしても、それがほんとうに人の心を満たしてくれるものなのでしょうか?自分が貧乏で負け惜しみを言っているわけではありません。確かに心の片隅にうらやましいと思う気持ちがありますが、それは自分の弱さゆえです。「いまあるもので満足しなさい(ヘブ13:5)」…とは、ある意味パウロの究極の悟りだと思います。金銭を愛することがすべての根源で、人が汗水たらして努力するのもそれが根底にあるとするなら、神の入る隙などどこにもなくなってしまいます。主を心の王座に迎えたいのなら、まずいま王座に居座る肉の思いを追い出すべきではないでしょうか?