すべては益、を一考

ロマ8:28「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」
「すべては益となる」は多くの説教者が選ぶ聖書の箇所です。しかし、すべてが益になるためには条件があります。それは「神を愛する」と「神の計画に従って召される」ということです。やみくもに何でも益になるわけではありません。多くの失敗や恥ずかしいことが人生で起きますが、神を愛するがゆえにそのことが起きるなら、神がその人を放っておくはずがありません。やがてその失敗は主の栄光に変えられ、その人自身と共に主ご自身が輝くことになるのです。また主のご用のために働く人たちも同じです。献身することは誉れではありますが、ヤコブが言うように教える人が格別厳しいさばきを受けることも事実です(ヤコ3:1)。それは教える者が、自分の態度や言葉を制御できていないなら神の言葉の権威が失墜してしまうからです。聖霊に従っているなら、従うもののために聖霊ご自身が聖徒のためにとりなしをしてくださいます(27)。これが人に与えられた望みです。つまり、目には見えないけれども、自分のために働いている神がいてくださるという信仰です。益ばかり求めるのではなく、主の栄光を求める人にもとにマイナスをプラスに変える奇跡が起きるのだと思います。