不信仰は罪

ロマ14:21「しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です」
エス様がある親子に出会ったとき、子どもの父は「もし、おできになるものなら、私たちをあわれんでお助けください(マコ9:22)」とイエス様に訴えました。そのときにイエス様は「信じる者にはどんなことでもできるのです(マコ9:23)」と言われ、父親の不信仰に釘を刺しました。また別の箇所では「だれでも山に命じて、「海に入れ」と心の中で疑わず、言ったとおりになると信じるならその通りになります(マコ11:23抜粋)」とも言われています。信仰は神から出たものですが、罪はそうではありません。クリスチャンといえども疑いが生じるならそれは「罪」だとパウロは言います。ちょっと乱暴な区切りかたかもしれませんが、神は信仰を見られるお方です。悪い結果を想像し、それを恐れるがゆえに神への信仰を失うなら、まさにサタンの思うつぼではないでしょうか。死を恐れ、自分が滅ぼされるのではないかと疑うのなら、神への信頼はどこにあるのでしょう?確かに神を信じる者であっても一度は死にます。死を恐れる者たちには、神が死後も人に影響を与えることを知りません。信仰は試されて、本物になります。ただ肯定的なことを告白し続けることが信仰ではありません。主は告白した言葉に責任を負わせ、信仰を試されるお方です。