いのちにはいのち

申19:21「あわれみをかけてはならない。いのちにはいのち、目には目、歯には歯、手には手、足には足」
中学校の世界史ではハムラビ法として有名なことばですが、原点は聖書にあります。「いのちにはいのち」という原則に基づくならば死刑は妥当な判断だと思われますが、死刑を定めていない法律も世界にはあります。しかし、一方では死刑がないなら凶悪犯罪の歯止めがかからないことから、死刑を復活する動きも活発化していることも事実です。アメリカでは州ごとに死刑制度の是非が定められており、16州では死刑を廃止しています。聖書が旧約だけなら、世界の法律は死刑を実行するべきでしょう。しかし、聖書の律法の別の箇所では「さばきは神のものである(申1:17)」と書かれ、またイエス様は「さばいてはいけません。さばかれないためです(マタ7:1)」と言われました。死刑は一時的に罪人の動きを止めるものかもしれませんが、神のさばきは永遠に続きます。神のさばきのほうがはるかに恐ろしいものです。人を憎むことは許されません。イエス様が言われたように隣人を愛し、神を愛するようにし、さばきは主にゆだねたほうが得です。それでも自分の感情があり、すべての人を愛せよ…とは、とてつもなく難しい命令だと思います。主の力を貸してもらわなければ、誰もこの命令に従うことなどできないでしょう。