罪のない者の血

申21:9「あなたは、罪のない者の血を流す罪をあなたがたのうちから除き去らなければならない。主が正しいと見られることをあなたは行なわなければならないからである」
申命記21章の書き始めは、野で見つかった誰が殺したかわからない死体についての決まりごとです。「死」については自然死もありえますが、ここでは「誰が殺したかわからない(1)」と書かれているように、打撲や刺し傷があるような明らかに故意の証拠が見つかった場合を指しているようです。本来は罪のない者などいないのですが、主は律法を守り、主のことばに従う者のことを罪のない者と呼びました。そして、ちょっと風変わりな方法ですが、死体からの距離を測り、最も近い町から子牛を谷へ連れ出し首を折りなさいと命じられています(2-4)。これで死体への購いは終わりです。ところで、果たして殺人を犯した者はどこかで生きながらえているはずです。その者はどうなるのでしょうか?故意に人を殺した場合は「いのちにはいのちを(19:21)」の原則に従い、殺人者は死刑になります。残念ながらそのことについては触れられていません。ただ、レビ人がさばきのために神から選ばれていることが書かれています(15)。イエス様はマリアの血を受け継ぎ、マリヤはレビ人ザカリヤの妻エリザベツの親類だったとあり(ルカ1:36)、祭司としての努めをできる立場にありました。イエス様が祭司としてさばきの場に立ち、罪のない自らの血を捧げることによって全人類に対しての罪のあがないをされたのです。それは主が正しいと見られることでもありました。