話す言葉がわからない

申28:49「主は、遠く地の果てから、鷲が飛びかかるように、一つの国民にあなたを襲わせる。その話すことばがあなたにはわからない国民である」
単純に考えてアッシリアバビロニアのことが頭に浮かんできます。バベルで主がことばを混乱させたのは、人がひとつになり知恵を合わせるなら、人をとどめることができなくなると判断したからです(創11:7)。確かに、ちょっと外国に行ってもことばが通じないのは不便です。もし、どこの国へ行っても意思の疎通が簡単に取れるなら、病気などにかかったとき便利だと思います。しかし、イスラエルの民はいきなり、ことばも通じない国から攻撃を受け、あっというまに捕虜となり奴隷のように知らない土地へ連れて行かれたのです。この話を読むとき、北朝鮮の拉致のことを思い出します。幼い中学生がいきなりことばも通じない土地に連れて行かれ、自由を奪われ、強制的に韓国語を話すようにされ、北朝鮮のために働かされる…ここまで聞いても、ひどい仕打ちだと考え込んでしまいます。そんなひどい仕打ちが主の預言として書かれ、歴史はそのことが事実だったことを証明しています。結局、主とユダヤ人の交わした約束は一方的に人間側の都合で破棄されてしまったのです。主を信じ、父なる神つまりエホバなる神のみが神で、彼だけを礼拝するなら、イスラエルに恵みと祝福があったのでしょう。ことばがわからないことは、不便の中でも最も重いものだと思います。主に従わなかった代償はとてもつらいものでした。