この耳で聞きました

詩44:1「神よ。私たちはこの耳で、先祖たちが語ってくれたことを聞きました。あなたが昔、彼らの時代になさったみわざを」
詩篇の中では「立ち上がってください(3:7など)」や「救ってください(69:1など)」や「見てください(9:13など)」のように、あたかも神が何もなされていないかのような表現がたくさんあります。ことばを砕いて言うならば「何をしているのですか?」と不平を神に直訴しているかのようです。もちろん主は公平で正しいお方ですから、彼らの言うにように彼らの不利な状況をないがしろにしているわけではありません。しかし、人が昔も今も神が沈黙しているかのように錯覚するのは同じです。人が自分の都合の良いようにタイミングを決めて待っていても、それは無駄なことです。主には主のご計画があります。詩篇を歌った人たちも私たちと同じように、すみやかに主のわざがなされたいと願っていたのです。それは目に見えない神との交わりの中で不可欠な要素だと思います。ただ神のわざは多くの人によって語られ、自分の耳に届くことでしょう。それでもやはり神は見えません。多くの証しのことばが人々を感動させ、信仰へと奮い立たせるのです。