わたしこそ神

詩46:10「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる」
「やめよ」は口語訳では「静まれ」とも書かれ、こちらのほうが原文の意味に近いと思います。9節では主が戦いをやめさせると書かれ、「やめよ」は戦争をしている国々に語りかけたものです。全世界が唯一の神を信仰し、ことばを共有し、心をひとつにしてまとまるならば、戦争など起きないはずです。主が命令されたように、まず争いごとをやめることが先決です。それからゆっくりと腰をすえてまことの神を知るのです。神を知るには時間がかかります。それは神が奥深く、人の考えなど及ばない存在だからです。地上であがめられる方はただお一人で、世界はそれを知る必要があります。いくら自分には無関係だと思っていても、創造主に対して「あなたは誰?」と言うことはできません。なぜなら無関係ではないからです。生まれたときから、いや、生まれる前から名前を知り、どういう人生を歩むかを知っておられる方がいらっしゃいます。聖書には「父の腰の中にいた(ヘブ7:10)」という表現がありますが、まさしく生まれるかどうかもまだ未定のときから主の計画は始まっており、いずれ主と和解するチャンスを待っておられるのです。