主を見上げること

詩63:2「私は、あなたの力と栄光を見るために、こうして聖所で、あなたを仰ぎ見ています」
ダビデが荒野にいたときの参照箇所として2サム16章が挙げられています。そこではアブシャロムに追われ、オリーブ山を下ったときにメフィボシェテに仕えるツィバと出会ったことが書かれています。主人を伴わない使用人ツィバの単独の出迎えは、とても奇妙に見えたはずです。それでもダビデは「メフィボシェテのものはみな、今、あなたのものだ(2サム16:4)」と言い、またサウル家のシムイが悪態を吐きながらついて来たときも「彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから(2サム16:11)」と主の導きのままにしました。やがてアブシャロムが死に、ダビデエルサレムに帰ることになったとき、シムイとツィバは真っ先にヨルダン川に出迎えに行っています(2サム19:16,17)。彼らはもうダビデを恐れる者ではなく、ダビデを慕い、仕える者となっていたのです。それはダビデが苦難にあるときも主を見上げ、自らの判断で彼らに罰を与えなかったからです。主を見上げ、主を礼拝することは、その場だけ主に対し賛美を言葉を言うのではなく、普段の生活のなかでも人をさばかないことです。ダビデの姿勢は学ぶべきだと思います。