自分の力でやった

イザ10:13「それは、彼がこう言ったからである。『私は自分の手の力でやった。私の知恵でやった。私は賢いからだ。私が、国々の民の境を除き、彼らのたくわえを奪い、全能者のように、住民をおとしめた』」
主は神に従わないイスラエルへの警告を発しており、もしこのまま罪が続くなら大国アッシリアに滅ぼされてしまうことを告げられていました。しかし、主がアッシリアに好意を持っていたわけではありません。むしろ、アッシリアの成り上がりは王の高慢さから来ており、「アッシリヤの王の高慢の実、その誇らしげな高ぶりを罰する(12)」と書かれており、自分の民の懲らしめが終了したなら次に罰する対象としていることがわかります。多くの人の上に立ち、なんでも言うことを聞かせることができるようになるなら、気持ちがいいでしょう。人が人に従うのは利害が一致しているか、畏敬の思いがあるからのどちらかだと思います。どんな人でも何の障害もなく、反対する者もいない状況で生活を続けるなら、わがままになってしまうだけです。子供が成長するときに、何にもつまづかず、順風満帆な人生を過ごしたなら、とんでもない性格に育ってしまうでしょう。アッシリアの王はすでに手遅れで、すべて自分の力、知恵が優れていると勘違いしてしまっています。自分こそ優れていて、偉大だと勘違いする思いは、やがて自分は神よりも高い者だという高慢につながり、主はその高慢さを嫌っておられます。