かしらと尾

イザ9:17「それゆえ、主はその若い男たちを喜ばず、そのみなしごをも、やもめをもあわれまない。みなが神を敬わず、悪を行ない、すべての口が恥ずべきことを語っているからだ。それでも、御怒りは去らず、なおも、御手は伸ばされている」
かしらも尾も一日で切り取られた(14)…とあります。かしらは、長老や身分の高い者。その尾は、偽りを教える預言者です(15)。しかし、たった1日にもかかわらず、多くの人がかしらと尾によって、惑わされだまされてしまったのです。かしら(頭)「rosh(ロシュ)」と尾「zanab(ザナブ)」でひとつの体を表していると思います。それは権威あるものと教えるものが間違えば、すべて間違えてしまう…という警告です。「若い男、みなしご、やもめ」は低い者たち、すなわち従わなければならない人たちの比喩です。かしらと尾がしっかりと神のことを伝えなければ、誰も神を敬わず、悪を行い、恥ずべきことを語るようになってしまいます。「私たちは自由だ。何をしてもかまわない」と主がエデンで教えたことを歪曲して伝えるなら、人は肉のおもむくままに行動してしまうでしょう。イザヤ9章はメシヤ預言で有名ですが、その預言の後になぜメシヤを遣わさなければならないか、が書かれています。かしらが誤ってしまうならすべては罪に犯されてしまうのです。