真実をもって

イザ16:5「一つの王座が恵みによって堅く立てられ、さばきをなし、公正を求め、正義をすみやかに行なう者が、ダビデの天幕で、真実をもって、そこにすわる」
「正義」とは神の御心で、「真実」とは神のことばのことです。おそらく、この意見に反対する人も多いでしょう。たとえば無差別に人を殺したら殺人者と呼ばれ、戦争で大量の敵をやっつけたなら英雄になります。この世には不変の価値観などないようにも思えます。世界が始まってから、この世が終わるまで変わることがないものがあるとしたら、その価値に従ったほうが得策です。よく「例外のない規則はない」ということわざを耳にしますが、人の都合によって解釈の変わる法律ほど不安定なものはありません。「じゃあ、今回は例外ということで…」と裁判官が言うなら、世の中は特例だらけになってしまいます。裁判の判決では、以前の判例を持ち出して、「過去に一度、このような特例がありました」などと、現在の犯罪者もその特例を適用するように裁判官に迫るのです。しかし、神のことばは永遠に立つ(40:8)、と聖書にもあります。絶対にぶれない価値と権威がそこにはあります。そして、その権威をもってさばくお方が、ダビデの天幕の中で王座につきます。いや、つかれたのです。イザヤの預言はイエス様の十字架によって成就しました。