エチオピアの北上ルート

18章と19章が入れ替わっています。すいません。

イザ18:7「そのとき、万軍の主のために、背の高い、はだのなめらかな民、あちこちで恐れられている民、多くの川の流れる国、力の強い、踏みにじる国から、万軍の主の名のある所、シオンの山に、贈り物が運ばれて来る」
アフリカは遠い国のイメージですが、エジプトは地中海に面しておりイタリアからは目と鼻の先の距離にあります。また、イスラエルが40年も旅をしたエジプトとイスラエルの距離も、カイロとエルサレムの直線距離ならば426キロ程度で、東京ー大阪間とあまり変わりありません。そういう意味においてはエジプトはヨーロッパの影響を受けやすく、事実古くはイスラエルアッシリアバビロニアなどの大国に、それ以降もギリシャやローマの影響を受けています。一方、エチオピアアラビア半島のすぐ近くにあり、最も近いところは30キロ足らずで瀬戸内海程度の海を渡ればアフリカからサウジアラビアにいけます。エチオピアはエジプトを経由しなくても、アラビア半島から北上してイスラエルに行くことも可能でした。砂漠の旅は大変でしょうが、他民族の干渉を受けなくて済みます。エジプトとエチオピアが聖書によく登場するのも、こういう地理上の優劣が関係していたのだと思います。やがてクシュは滅びますが、エチオピアイスラエルの神を信じ続け、使徒の時代にピリポによってキリスト教が伝えられたのでした(使8章25-40)。