肥だめの中で

イザ25:10「主の御手がこの山にとどまるとき、わらが肥だめの水の中で踏みつけられるように、モアブはその所で踏みつけられる」
モアブの最大の罪は「ケモシュ」の信仰をやめず(民21:29)、そればかりかソロモン王にも影響が及び祭壇を築かせた記録も残っています(1王11:7)。一方、モアブ人にはルツがいて、ルツはイエス様の先祖として系図に書かれています(マタ1:5)。モアブが常にイスラエルの近隣にいて、交流が深く、いろいろな影響を与え合っていたことがわかります。イエス様の系図にある民族ではありますが、ずっと主に従っていたわけではありません。どんなに由緒ある家系であろうと、先祖に主に従った歴史があろうと、現在の状態が主から離れているなら祝福を受けることはできないでしょう。モアブは主に携わる人たちの象徴だと思います。彼らの高ぶりは主の目には好ましく映らなかったようです(11)。主の民の近くにいても、あるいは主の民の中でも高慢さは気をつけなければならないものです。高ぶるなら肥だめの中でも踏みつけられるのです。「自分こそ偉い」ではなく、「主こそすばらしい」という信仰こそ、主が望まれる心の態度ではないでしょうか。