くちびると舌

イザ30:27「見よ。主の御名が遠くから来る。その怒りは燃え、その燃え上がることはものすごく、くちびるは憤りで満ち、舌は焼き尽くす火のようだ」
主は天地創造の際にことばをもって世界を造られました(創1:2)。滅ぼすときにもことばを用いられるのだと思います。「くちびる」と「舌」が書かれているのは主の権威はことばから来ることの象徴で、ことばによってすべてのことがなされることをイザヤも知っていたのでしょう。アッシリアは神の舌によって風前のともし火のようですが、ヨナ記によれば主はアッシリアのニネベに対して悔い改めるように預言者ヨナを送り込んでいます(ヨナ1:2) 。そして、実際にニネベの人々は一度は悪から立ち直ろうとし、主は滅ぼすことを思い直しています(ヨナ3:10)。それもつかの間だったのか、アッシリアの高慢はおさまりませんでした(10:12)。主の口から「滅びよ」と言われた者や国は滅びるのです。しかし、主はそのことばを軽々しく使ったりしません。主ご自身がそのことばの意味を深く理解しておられるからです。それでも最後の日には、主は怒りを隠さず、今まで待たれた忍耐をも解き放ちすべてを滅ぼしてしまいます。できれば、主のくちびるからは祝福と恵みのことばだけが発せられればと願いますが、それも人の願いではかなわぬことなのです。