口先だけで

イザ29:14「それゆえ、見よ、わたしはこの民に再び不思議なこと、驚き怪しむべきことをする。この民の知恵ある者の知恵は滅び、悟りある者の悟りは隠される」
封じられているものを解き明かす力がなくても(11)、聖書学校などに行って聖書の勉強をしていなくても(12)、神のことばには力があり、教師や牧師、預言者などの特別な職についている人だけのものではありません。むしろ、神のことばを理解したかのように思い、自分こそ聖書学者であり、こんなに聖書を勉強したのなら神に近づきほめたたえる権利があるだろう…と勘違いするなら、それらの人の賛美はとても主に受け入れられるものではありません。知恵ある者の知恵は滅び、悟りある者の悟りは隠される…とあるように、人のわずかな神の理解など、主の前ではちりのようなものに過ぎないのです。どんなに神を追い求め理解しようとしても、それ以上のお方であり、人が神の不思議さを目の当たりにするとき、ただただ驚き怪しみ、賛美するしかないことを悟るのです。最近では自分が「口先で近づき、くちびるでわたしをあがめる(13)」者になっていないかと、自分自身の信仰をチェックするようにしています。いつわりなく神に向かって「主よ、主よ」と言えているだろうか、ひょっと口先だけなのではないだろうか?…主は必ず人の心の中を見られます。