ついに上から雲が

イザ32:1「見よ。ひとりの王が正義によって治め、首長たちは公義によってつかさどる」
ひとつの解釈としてはヒゼキヤ王のことを指しているようにも見えます。聖書には「彼のあとにも彼の先にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった(2王18:5)」とあるように、王の歴史の中でもヒゼキヤの評価はトップクラスでした。しかし、イザヤが見た預言の幻はもっと先を見ていたようにも思えます。「女」は教会の比喩であることはよく知られていることですが、「のんき」で「うぬぼれ」ている女たちにも(11)、ついには上から霊が注がれるとあります(15)。終わりの時代はそのまま聖霊の時代とも言えます。イエス様が来られたことにより、聖所と至聖所にあった幕は二つに裂け、すべての人が祭司の務めをすることができるようになったのです(マタ27:51)。そしてもうひとつ大きく変わったことは「助け手」が与えらたことです(ヨハ16:7)。聖霊そのものは霊ですから、話したり、触ったりすることはできませんが、人の心に語りかけ、動かし、導くことができます。原語「ruwach(ルワック)」は「霊」を意味し、ここでは神の霊を指しています。現代のクリスチャンがこの預言に当てはまることは感謝です。