裏切ったら裏切られ

イザ33:1「ああ。自分は踏みにじられなかったのに、人を踏みにじり、自分は裏切られなかったのに、人を裏切るあなたは。あなたが踏みにじることを終えるとき、あなたは踏みにじられ、あなたが裏切りをやめるとき、あなたは裏切られる」
アッシリア王がヒゼキヤの時代にユダを攻めて来たとき、ヒゼキヤが主の宮と王宮の宝物倉にある銀を全部渡して、講和を図ったことがありました(2王18:13-17)。セナケリブはそれだけの金銀を受け取ったのにもかかわらず、軍の将軍たちをユダに送り込み降伏を要求しました(2王18章)。セナケリブは講和の条件を呑みながら、ユダの包囲を解かずヒゼキヤに圧力をかけたのです。もちろん、アッシリアが勝手に世界を征服し、ユダに攻めてきたわけではありません。神のご計画があってのことです。もし、アッシリアにもへりくだる要素があり、ヨナを送り込んだときのように悔い改めようと努力したならば、イザヤの預言のようにむごい結末を迎えることもなかったでしょう。紀元前612年に、新バビロニアとメディアの連合軍によってニネベは陥落しました。そのときの略奪は自分たちのやったときのようにむごいものだった…と歴史は伝えています。主の預言はことば通りになったのです。