15年の延長

イザ38:3「言った。「ああ、主よ。どうか思い出してください。私が、まことを尽くし、全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたがよいと見られることを行なってきたことを。」こうして、ヒゼキヤは大声で泣いた」
列王記の中には、イザヤがまだ中庭を出ないうちに主のことばがあった、とあります(2王20:4)。また日時計を戻すように願ったのもヒゼキヤが言ったことになっています(2王20:10)。次王マナセが12才で王になっているので、ヒゼキヤがこの与えられた15年の間にマナセを生んだことがわかります(2王21:1)。しかし、ヒゼキヤが主の目にかなうことを行なった(2王18:3)に対し、マナセはユダに罪を犯させ、罪のない者の血まで多量に流し、それがエルサレムの隅々に満ちるほどであった、とあります(2王21:26)。また、見舞いに来てくれたバビロン王に気前よく全財宝を見せてしまい、バビロン王の心に略奪の種を植え付けてしまいました(39:2)。与えられた15年を何に使うかは、生き延びた者が決めることです。気を引き締め、バビロン王に宝を見せびらかせず、自分の子供に主への信仰を教育したり…といろいろできたはずです。これはヒゼキヤを通して、聖書が神を信じるすべての人に対して示す、与えられた時間の使い方の警告であると思います。