初めで終わり

イザ41:4「だれが、これを成し遂げたのか。初めから代々の人々に呼びかけた者ではないか。わたし、主こそ初めであり、また終わりとともにある。わたしがそれだ」
わたしがアルファでありオメガである…というのはあまりにも有名なことばですが(黙21:6)、イザヤの中にも主が初めで、終わりだと書かれています。しかも、この節の終わりに「わたしがそれだ」とギリシャ語で言う「エゴ・エイミ」が付け加えられているのです。多くのヘブライ語表記の写本ではこのことばはありませんが、70人訳(セプトアジンタ)の際に学者たちが加えたものなのか、ギリシャ語訳には「エゴ・エイミ」が入っています。宇宙は「ビッグ・バン」という爆発によって始まったというのが現在の宇宙物理学の常識のようですが、「特異点」と呼ばれるある一瞬になるといきなり物理の法則は崩れ、現代の科学のどんな理論を当てはめても納得のいく説明ができなくなってしまいます。もし、宇宙の始まりが運よく解決され、最初のはじまりがどうなっていたかを知り得たとしても、そのことが「なぜ」起きたのか、となると誰も答えることができないでしょう。神が本気になって自分の知識を人に伝えたなら、その複雑さと難解さで人は精神を正常に保つことはできなるなると思います。それよりも、聖書のことばをそのまま受け取り、この宇宙は神が造られ、主が始まりで終わりだと信じたほうがすべての説明がつくのではないでしょうか?