神のことばは永遠に

イザ40:6-8「呼ばわれ」と言う者の声がする。私は、「何と呼ばわりましょう」と答えた。「すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ。主のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ。草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」
3節では「荒野で呼ばわる者の声がする」とあり、バプテスマのヨハネは自分こそこの荒野で叫ぶ声だと言っています(マタ3:3)。「呼ばわれ」は原語では「gara(ガーラ)」で、呼ぶという意味以外に「叫ぶ」「宣言する」などの意味があります。個人的には「宣言する」という意味がここでは最適ではないかと思います。何を宣言するのかというと「神のことばは永遠に立つ」ということです。そしてバプテスマのヨハネは「悔い改めなさい、天の御国が近づいたから(マタ3:2)」と宣言しました。神の真理が絶対的なもので、たとえこの天地が滅びようとも神のことばが失われることがないのなら、神のことばに従うべきだと思います。滅びるものに仕えるより、滅びないものに仕えたほうが得策だからです。所詮無くなるものを大切に取っておいても、泡のように消えてしまいます。神のことばこそが、人に与えられた最高のもので絶対に裏切られることのない価値感なのです。