愛している

イザ43:4「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ」
好みは人それぞれで、ある人は変わった趣味があったりして、万人の嗜好は共通しないものです。しかし、神がわたしの目「ayin(アイアン)」には高価で尊い、というなら誰もその意見に反論することはできないでしょう。しかも「愛している(ahabアハブ)」と言われているのです。この「ahab」は人の愛を示しており、アブラハムに対して主が「あなたの愛する子イサクを連れてモリヤの地に行きなさい(創22:2)」と言われたときなどに使われています。ここでは神が人のように制限ある愛で愛する…とわざと言っているようにも思えます。それは愛するがゆえに、大切に思い、懲らしめたり、滅ぼしたりすることをためらい、その身代わりを備えて愛する対象を守ると言われているからです。聖なるお方が、人を愛するがゆえに、何とかしてそのいのちを取り去ることがないように、泥臭く、必死で、あたかも人が人を愛するかのように葛藤しているようにも見えます。「愛している」と書かれている…と喜ぶ人もいますが、主の目に映った自分の姿が本来愛されるべきものではないと悟ったときに、「どうして?」という思いが浮かんくるはずです。それでも高価で尊い、と言われた主の愛を推し量ることはできません。ただ主を賛美するだけなのです。