従う者

イザ50:6「打つ者に私の背中をまかせ、ひげを抜く者に私の頬をまかせ、侮辱されても、つばきをかけられても、私の顔を隠さなかった」
エス様の顔が隠されなかったのは、イエス様が主に従ったからです。「神である主は、私に弟子の舌を与え、疲れた者をことばで励ますことを教え、朝ごとに、私を呼びさまし、私の耳を開かせて、私が弟子のように聞くようにされる(4)」とあるように、私(イエス様)が父なる神から教えられ、どのように人として過ごしたかが書かれています。イエス様ご自身が弟子となられ、師であられる父なる神から日ごとに御言葉を学び、疲れた人たちをことばで励まされたのです。そして苦難のときも、背中を打つ者から背中を逃げるようなことをせず、ひげを抜く者にも頬をそらすことはありませんでした。本来ならば、逃げることも、そらすこともできたはずです。それどころかそのような者たちをその場で滅ぼす権威さえ持たれていたのです。それでも人を救うために、自分が十字架にかけられなければなりません。つばきをかけられたからといって怒り、祭司や律法学者を殺してしまったら、救いの計画は水の泡です。大意を失わず、信仰によって主の御心だけを信じる姿が、私たちへのメッセージなのだと思います。