私の偶像がこれをした

イザ48:5「わたしは、かねてからあなたに告げ、まだ起こらないうちに、聞かせたのだ。『私の偶像がこれをした』とか、『私の彫像や鋳た像がこれを命じた』とかあなたが言わないためだ」
「うなじがこわい」という表現が聖書に登場しますが(出32:9など)、ここでは「首筋は鉄の腱、額は青銅(4)」とさらに表現が深いものになっています。首が回らない…とは金銭の工面に困ることですが、ヘブル語の表現では心がかなくなになり、周りを見ることができないという意味になります。自分が「これが正しい」と思っていても、すべての人がそう思うわけではありません。しかし、神の言われることは別です。「わたしのほかに神があってはならない」と言われるなら、そのことばが真実なのです。それでもイスラエルの民はほかの神の偶像を慕い求めました。主は預言者を通じて多くのこれから起きることを告げています。それがイスラエルにとって不都合なものであっても、イスラエルの民はほかの神を拝むことをやめなかったのです。はたして、そのときが来たときにイスラエルの民が「私の偶像がこれをした」と言えたでしょうか?すべては主の言われたとおりになったはずです。何もなく、平和なときから主を求め、右にも左にもそれないで信仰を保つことができる人が最後まで残るのだと思います。