なんと美しい

イザ52:7「良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神が王となる」とシオンに言う者の足は」
パウロはローマ書の中で、福音を伝える者への賛美を書いていますが、そのことばの引用がこのイザヤ52章からです(ロマ10:15)。それと同時に「私たちの聞いたことを、だれが信じたか(53:1)」と、福音を伝える難しさもイザヤ書から引用しています(ロマ10:16)。語られたみことばが人の心に届くかどうかは、神の御心しだいです。強引に「信じろ」と強要するものでもないし、信じなかったからといってその人を恨むことでもありません。語った人に権威があるのではなく、語られたことば自身に権威があるのです。みことばの種を誰かが蒔いたとしても、その人が刈り取れるとは限りません。「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です(1コリ3:6)」とあるように、最後の栄光は主に帰さなければなりません。ただし、福音を伝える者たちの労を忘れてはならないと思います。神の栄光を現せる器は人しかいないのです。人を通して福音が伝えられ、人の行いや言葉によって主の栄光を表す方法が神の考えられたご計画だからです。