断食について

イザ58:5「わたしの好む断食、人が身を戒める日は、このようなものだろうか。葦のように頭を垂れ、荒布と灰を敷き広げることだけだろうか。これを、あなたがたは断食と呼び、主に喜ばれる日と呼ぶのか」
イスラム教にもラマダンと呼ばれる断食が年に1回、1ヶ月間行なわれています。彼らの断食の場合、日中断食し、日没後断食は解禁され日の出までに食事をするというものです。イスラム教徒はまじめで1日5回の祈りを欠かさず、断食もちゃんとこなす人が多いようです。また、一般の社会ではハンガーストライキなるものがあり、自分の主張をものを食べないことで訴えるというやりかたです。食を断つことは、即、人のいのちに関わる重要な問題になります。今までに食べずに生き延びた人はいません。しかし、たとえ自分のいのちを削るようなまねをしても、主にその願いが届かなければどうでしょう?「ご覧にならなかったのですか(3)」「どうしてそれを認めてくださらないのですか(3)」と交換条件のように主を脅してもだめです。神はその人が食べないで苦しむよりも、むしろ断食の最中でも他の人への愛を示すことを望んでおられます(7)。イエス様の時代にはパリサイ人はよく断食をしていたようですが(マタ9:14)、イエス様は「自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい(マタ6:17)」と言われ、断食を人に悟られないようにと忠告されています。本来、断食は神だけに見られるべき行為なのではないでしょうか?