ご自分のささえ

イザ59:16「主は人のいないのを見、とりなす者のいないのに驚かれた。そこで、ご自分の御腕で救いをもたらし、ご自分の義を、ご自分のささえとされた」
誰かが人類の代表となって、神と人との間を取り持ってくれればひょっとしたら和解が成立したのかもしれません。モーセのように神とイスラエルの民との間に立って導くリーダーはいつの時代にも必要です。しかし、聖書にはとりなす者がいなかったと書かれています。そこで神はご自分の御腕で救いをもたらしました。三位一体なので、「ご自身の子」とも「ご自分」でとも言えると思います。それは愛を完成させるためでもあったろうし、ご自分の栄光を輝かせるためでもあったのでしょう。そして、イエス様が地上に来られ十字架に架かり、神と人との間にあった罪を取り除かれたのです。結果的にはどんな人間でもその役割は不可能なものでした。十字架によって愛は完成され、義は曲げられずに正しく保たれたのです。もし、そのまま人類が滅んだなら、神が人を造られたことに失敗したことになります。神に失敗などありえません。「義」は神ご自身です。人のどんな小さな一点を見ても、正しい要素はないのです。人が正しいと言えるのは神を信じる信仰によってだと思います。それは人が自分の功績にしないためで、高慢にならないためです。