黙るのは終わり

イザ62:1「シオンのために、わたしは黙っていない。エルサレムのために、黙りこまない。その義が朝日のように光を放ち、その救いが、たいまつのように燃えるまでは」
イスラエル偶像崇拝をやめず、神から離れてしまったために、主の怒りを買いました。イザヤなどを通して何度も警告があったはずですが、主に立ち返り悔い改めることはありませんでした。一方、ユダ国にはヒゼキヤやヨシアなどの善王もいましたが、マナセなどの悪王もいたりして、一進一退の状態でした。バビロン捕囚にあったときから70年は、主が沈黙された時間です。主は「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる(エレ29:10)」と言われ、もう一度イスラエルの民が終結することを告げられました。そしてエズラ、ネヘミヤにあるように神殿の再建が行なわたのです。しかし、ここに書かれていることはもう少し先のメシヤ預言のことです。イエス様はエルサレムの城門をロバに乗って通り(10)、イザヤの預言は成就しました。主の沈黙は終わり、購いの瞬間が訪れたのです。それは一度は見捨てられたように見えた主の怒りも、すべてはご計画の一部であり、神は絶対にご自分の民を見捨てることはないという証拠でもあるのです。