新天地

イザ65:17「見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない」
原語では「創造する」は創世記1章1節の「初めに神が天と地を創造した」の「創造」と同じ「bara(バーラ)」が使われています。しかしここでは単に創造されるではなくその言葉に「chadash(ハダーシュ)」という「新しい」という形容詞が付いています。この章では主が何をご計画されているかが書かれています。まず「一日中、わたしの手を差し伸べた(2)」とあり、罪にあるものを救おうとしています。次に「報復する(6)」とあり、一定の時間が過ぎたなら救いから報復に転じるようになることがわかります。主の報復も「その全部は滅ぼさない(8)」と書かれ、不作のぶどうの中にも甘い良い実を取っておく比喩が記されています。そのようにして、喜ぶ者と悲しむ者がより分けられ(14)、いよいよ新しい天地の創造です。黙示録ではヨハネがその様子を記しています(黙21章)。神がそうたびたび天地を造るはずもないので、このイザヤとヨハネの黙示録の記述は同一のものと考えてよさそうです。黙示録では「以前のものが、もはや過ぎ去ったからである(黙21:4)」と書かれ、「先の事は思い出されず、心に上ることもない」と一致します。時代は過ぎ、どんなに人が繁栄したように見えても、神のみこころだけが成されるのです。