雲に乗って、を一考

詩68:4「神に向かって歌い、御名をほめ歌え。雲に乗って来られる方のために道を備えよ。その御名は、主。その御前で、こおどりして喜べ」
日本語訳では、共同訳、口語訳でも「雲に乗って」という表現ですが、英語訳ではキングジェームスやNASBでは「砂漠を越えて」という訳になっています。ここでの「雲」は「'arabah(アラバ)」となっており、ノアの洪水の後に「わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる(創9:13)」と言われた「雲」すなわち「'anan(アナン)」とは違っています。一方、新約ではイエス様が言われた「雲に乗って来られる方」は福音書に共通して見られ(マタ24:30,26:64、マコ13:26,14:62、ルカ21:27)、雲は必ずギリシャ語「nephele(ネフェレ)」が使われています。雲はおそらく、ノアの洪水前には空にはなく、洪水後太陽の紫外線とともに雲が現れたのだと思います。それ以降、雲は主の臨在と深く関係しており、出エジプトの時代には民を導く柱となり(出13:21)、モーセとの会見のときにも山は雲に覆われた(出24:15)、とあります。またイエス様がある山上で御姿に変わられたときにも「雲」がわき起こりました(ルカ9:34)。個人的意見ですが、雲に乗るという表現よりも、「雲々に包まれて」という言い方のほうがしっくりくると思います。高度の上空でもない地上に雲が現れたなら、ひょっとしたら主がおられるしるしなのかも知れません。