あがめよう

詩70:4「あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、「神をあがめよう」と、いつも言いますように」
「神をあがめよう」の「あがめる」はヘブル語で「gadal(ガダール)」が使われ、聖書に最初にこの言葉が使われたのはアブラハムに対して宣言された「あなたを祝福し、あなたをおおいなるものにしよう(創12:2)」のときです。「おおいなる」という部部の原語が「gadal(ガダール)」です。詩篇69篇では「私は神の御名を歌をもってほめたたえ、神を感謝をもってあがめます(69:30)」とあり、「あがめます」は「gadal(ガダール)」が使われています。「gadal(ガダール)」はそのほか「偉大な」とか「成長させる」などの意味があり、基本的には自分よりも大きな存在に対して使う言葉のようです。日本語の「あがめる」は「崇める」と書き、国語辞典では「この上ないものとして扱う」とあります。しかし本当に神の前に立ったなら、その聖さと荘厳な存在に言葉を失うだろう…というのが個人的意見です。ただただ、圧倒される神の偉大さは直視することを許さず、立っていることさえ困難な状況だと思います。それでも、そのような神が人を思い、心に留めてくださったことは宇宙のどんな不思議もかなわないできごとです。ダビデは主を慕い求める者が全員、神をあがめるようになるように…と歌っています。「愛」なるお方が愛してくださったことへのお返しは「あがめる」という行為なのではないでしょうか。