最後の祈り

詩72:15「それゆえ、彼が生きながらえ、彼にシェバの黄金がささげられますように。彼のためにいつも彼らは祈り、一日中、彼をほめたたえますよに」
最後に「エッサイの子ダビデの祈りは終わった(20)」とあるので、この歌はダビデのものです。最初の「ソロモンによる」というのは、ダビデが自分の子ソロモンについて…と表したほうがいいのかも知れません。ダビデは自分の子ソロモンについて歌っていますが、途中から聖霊ダビデに下ったのでしょうか、「彼」という意味が後に来られる「イエス様」を指しているように見えます。確かにソロモンはシェバからの訪問を受け、多くの金銀、貢物が送られたことが書かれています(2歴9:1-6)。そういう意味ではこのダビデの祈りは応えられ、ソロモンにシェバからの黄金が捧げられました。しかし、一日中彼(ソロモン)をほめたたえますように…とはいかがなものでしょうか?イエス様の十字架上のことば「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ(マコ15:34)」は、ダビデ詩篇のものでした(22編)。最後は「とこしえに、ほむべきかな。その栄光の御名。その栄光は地に満ちわたれ。アーメン。アーメン(19)」と締めくくられ、主への賛美でダビデの歌は終わっています。どんなに困難なことがあっても最後は主を賛美して人生を終われれば、最高の人生だったと言えるのではないでしょうか?