よみから救われ

詩86:13「それは、あなたの恵みが私に対して大きく、あなたが私のたましいを、よみの深みから救い出してくださったからです」
「よみ」は「黄泉」とも「陰府」とも書き、新共同訳では「陰府」と書き方が統一されています。死後行くところとされ、聖書に最初に使われたのは、ヨセフがイシュマエル人に売られ、ヤコブにヨセフが死んだと兄弟たちが嘘の報告をしたとき「私は、泣き悲しみながら、よみにいるわが子のところに下って行きたい(創37:35)」と書かれている箇所です。ヤコブの時代にはすでに人が死んだらよみに下る、という概念があったようです。ダビデは賛美の中で多くの「よみ」を使っており(詩6,9,16、18,30,31、55,116、139.141章)、彼にとっては自分が罪を犯すことは、主から離れてよみに下ることと同じ意味に思っていたようです。ダビデが失敗して落ち込むとき、神から見放された錯覚に陥り、死のふちでも歩きよみにいるかのように感じていたことがわかります。ダビデにとっての神からの救いはよみからの回復であり、それは自分の力ではどうすることもできない恵みによるのだと歌っているのです。