マサでメリバな日

詩95:8「メリバでのときのように、荒野のマサでの日のように、あなたがたの心をかたくなにしてはならない」
この箇所はパウロがヘブル書の中で引用しています。「荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない(ヘブ3:8)」とあり、マサとメリバの名前は使われていません。マサは「試み」で、メリバは「争う」という意味です。名前の由来は「イスラエル人が争ったからであり、また彼らが、「主は私たちの中におられるのか、おられないのか」と言って、主を試みたからである(出17:7)」と書かれています。もし、きょう御声を聞くならば(7)、争っても心をかたくなにしてもいけないと言うのです。もちろん主を試みてもだめです。サタンはイエス様に神殿の上から飛び降りてみろ、と言い、イエス様は「あなたの神である主を試みてはならない」と言われました(ルカ4:12)。心をかたくなにするなら、人の意見など耳に入らなくなります。実際に神殿からジャンプしても、天使がイエス様を守ったと思います。こうすれば、こうなる…というルールはありません。すべては主の御心のままに…という態度が大切なのではないでしょうか?