さばきを愛する

詩99:4「王の力は、さばきを愛する。あなたは公正を堅く立てられた。あなたは、ヤコブの中で、さばきと正義を行なわれた」
さばきを愛する…というのはちょっと不思議な表現ですが、「愛する」はヘブル語「ahab(アハーブ)」が使われ、聖書にある「愛する」という語はすべてこの「ahab(アハーブ)」から派生したものです。もっとも初期に出てくる「愛」の表現は、アブラハムがイサクを捧げるときに主が「あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい(創22:2)」に使われた「愛」であり、父親が子を愛する愛のことです。ギリシャ語のようにアガペー、エロス、フィレオと分かれていないため、語尾の変化や接頭詞の変化でどのような愛かを推測するしかありません。そういう意味ではヘブル語の「愛」は広い解釈ができるものだと思います。ここでの「さばきを愛する」は、逆をいうなら「罪を憎む」という意味にも取れます。神がさばきを好んでいるというよりも、正しいさばきと正義が行なわれることを良しとされている…と考えたほうがよさそうです。「彼らにとって赦しの神であられた。しかし、彼らのしわざに対してはそれに報いる方であった(8)」とあるように、赦しもさばきも主のものなのです。