熱心が自分を滅ぼす

詩119:139「私の熱心は私を滅ぼし尽くしてしまいました。私の敵があなたのことばを忘れているからです」
129節から152節まで、各8節ずつ「Pペー」「TSツァディー」「Qコフ」のヘブル語の頭文字で始まっています。イエス様は神殿で牛や羊や鳩を売る者たちと両替人の台を倒して、追い払ったときにこのことばが聖書に引用されています(ヨハ2:17)。実際には詩篇69の9節のことばですが、ここも同じようなニュアンスで書かれています。イエス様の時代、律法学者たちは、ある意味律法を捻じ曲げていましたが、彼らなりの解釈や理解を加え613あるとされる律法を守ろうとしていました。それは安息日に働いてはならない(出20:11)…という戒めを拡大解釈して、安息日に癒すことも許されないというほどになっていました(マコ2:4)。最終的には自分を神の子としたとして、イエス様を十字架につけたのはまさしく律法学者たちの律法を守ろうとする熱心さが引き起こした悲劇のようにも思えます。十字架そのものは恵みと救いをもたらすものでしたが、そこに至る過程は律法学者たちの「ねたみ」が引き金になっているのかも知れません。自分たちこそ律法の管理者などと思ったり、自分こそ聖書に詳しいと高ぶるなら、その思いは自分を滅ぼしてしまうのです。