メシェクとケダル

詩120:5「ああ、哀れな私よ。メシェクに寄留し、ケダルの天幕で暮らすとは」
メシェクはヤペテの子孫(創10:2)、ケダルはイシュマエルの子(創25:13)、と聖書にあり、メシェクは北の山地でケダルは南の荒野の民族であることがわかっています。どちらも好戦的で平和を憎む者だとあります(6)。アブラハムの甥ロトもソドムという街に住んでいましたが、彼らが信仰を守り通すには非常に難しい環境でした(創19章)。この詩の作者がどういう境遇の人だったかはわかりませんが、異郷の土地で過ごさなければならなかったことは推測できます。その中でも信仰を捨てずに主に呼ばわったのです。平和のことを話すと、戦いを始め(7)、偽りのくちびる、欺きの舌(2)をもってこの歌い手を苦しめました。この詩はどんな環境でも主を求める態度を教えてくれています。すべてが逆境で苦難続きなら「神などいない」と思うのでしょうか?それとも苦しいときこそ主を求めるようになるのでしょうか?この詩の歌い始めは「苦しみのうちに、私が主に呼ばわると、主は私に答えられた(1)」とあり、後者だったことがわかります。応えられた内容はわかりませんが、主を求めたことがこの人の誉れなのです。