ダゴンのことはダゴン自身で

1サム5:7「アシュドデの人々は、この有様を見て言った。「イスラエルの神の箱を、私たちのもとにとどめておいてはならない。その神の手が私たちと、私たちの神ダゴンを、ひどいめに会わせるから」」
ダゴンがひどい目に会わされたのなら、ダゴン自身がイスラエルの神に復讐するなり、文句を言えばいいでしょう。アシュドデの人々が自分たちの神の心配などする必要はないのです。パウロが言うように「何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません(使17:25)」…ダゴンのことはダゴンが心配すればよいのです。それにしてもダゴンの頭と腕と胴体は記されていますが、足については書かれていません(4)。ダゴンは海の神だとされており、魚の体を描いている絵が多く残されています。ひょっとしたらダゴン像には足がなかったのかも。どちらにしろ、足のない神がどうやって自分で歩いて復讐できるでしょうか?偶像が壊されて怒ったり、うろたえたりするのは宗教を信じる人たちの特徴だと思います。信仰のあるクリスチャンなら、偶像に頼る必要がないことを理解しているでしょう。イエス・キリストの像が壊されたとしても、それは単に物が壊れただけのことだと悟ることができるのが真のクリスチャンだと思います。