前言撤回?

1サム2:30「それゆえ、―イスラエルの神、主の御告げだ―あなたの家と、あなたの父の家とは、永遠にわたしの前を歩む、と確かに言ったが、今や、―主の御告げだ―絶対にそんなことはない。わたしは、わたしを尊ぶ者を尊ぶ。わたしをさげすむ者は軽んじられる」
神は絶対なお方ですが、思いをとどめたり、考え直したりすることが聖書に数箇所書かれています(出32:4,ヨナ3:10など)。人間的な思いで言えば、神がことばをたがえることは前言撤回とも取れ、真実しか語らない神のイメージとは違っています。しかし、神と人との契約が破られ人間が約束を守らなければ、神のほうとしてもことば通りにする道理などないわけです。エリの2人の息子ホフニとピネハスの悪行は収まらず、彼らの死ぬ間際には契約の箱が奪われるという大失態をしでかしています(4:4-11)。そんな不肖の息子たちのために、エリ一族は壮年のうちに死ななければなりませんでした(33)。このエリの元に来た神の人の正体はわかりませんが、ルツ記の時代もエリの時代もまだ士師記の延長にあり、それぞれが自分の目に正しいと思うことをしていた時代です。そんな中でハンナという女性が主への信仰を貫き通し、自分の大事な初子を主にささげることからこの物語はスタートしています(1章)。神の人というのは天からハンナやエリの様子の一部始終を教えられた預言者だったのかも知れません。