心の貧しい者は幸い

マタ5:3「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから」
多くの人を前に話した最初のことばは「天の御国」は誰のものか、ということでした。天にある神の支配する国は「心の貧しい者」のためにある、と言われているのです。「心の貧しい」はギリシャ語で「貧しい」は「ptochos(トハース)」で、「心」は「pneuma(ニューマ)」です。「pneuma(ニューマ)」は「風」「息吹」「霊」という意味で、英語聖書NIVやキングジェームスでは「spirit」と訳されています。直訳するなら「霊(たましい)が貧しい」という感じになります。あなたのたましいが貧しい…と言われたらどういう意味を指すのでしょう?個人的な意見ですが「心が豊か」の反対、すなわち心に何も頼るべきものがない、満たされていない空虚な状態のように思います。心がいつも満たされているのは、金銭的、宗教的、人間的のような条件が整っている人でしょう。人も金も偶像も人の心を満たすものではありません。唯一、天におられる父なる神だけが心を満たしてくださるのです。そういう意味で天の御国の帰属を明確にしたのは、「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない(出20:3)」という十戒の最初の戒めをイエス様が繰り返したのではないかと思います。