権威ある者のように

マタ7:29「というのは、イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである」
人々が考える律法学者は、おそらくパリサイ人をイメージしていたのだと思います。「パリサイ」ということばはもともと「分離する」というヘブル語からきています。その名前が示すように自分たちこそが「分離」された存在だという、高慢なニュアンスのネーミングです。彼らの仕事は「さばく」ことです。とはいうものの、彼らが祭司だったわけでも、レビの末裔だったわけでもありません。言うならば「平信徒」の立場で、普通に生活しているユダヤ人たちと何も特化した権威を持っていたわけではないのです。彼らは街を我が物顔で練り歩き、律法違反者がいないかを探していました。613あるといわれる律法のすべてを記憶し、違反を見つけては人を罪に定め優越感を得ていたのです。彼らの話には目新しいものがなく、基本は「NO」を示すことです。イエス様が権威ある者のように感じたのは、ことばに迷いがなく、態度も威厳に満ちていたからではないでしょうか?断言することばを語るとき、人は惹きつけられ耳を傾けるようになります。ましてやイエス様は神ご自身であられたのですから、ことばに迷いなどあるはずもありません。