毒麦のたとえ

マタ13:41-42「人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行なう者たちをみな、御国から取り集めて、火の燃える炉に投げ込みます」
聞く人に応じてたとえを変えているのでしょう。種まき(3)、毒麦(24)、からしだね(31)、パンだね(33)、畑の宝(44)、真珠の商人(45)、地引網(46)、と続き、商人と漁師以外は畑や収穫に関するもので、その場に多くの農民が集まっていたことがわかります。そして弟子たちも毒麦のたとえを教えて欲しいと頼んでいます(36)。それは毒麦を収穫時まで放置しておき、収穫のときに良い麦とえり分けることが不思議に感じたからかも知れません。黙示録では千年王国の終わりにもう一度閉じ込められたサタンを解き放つ…ということが書かれていますが(黙20:7-8)、そのときまで最後の審判は行なわれず、サタンは幽閉されています。解き放たれたサタンたちの数は海辺の砂のようだとあり(黙20:8)、ひょっとしたらイエス様はこのことを語られているのではないでしょうか?つまずきを与える者や不法を行なう者は「御国」にいるとあり、神の支配する国の中にもサタンの息のかかった者たちがいることがわかります。しかもそのときには御使いたちが送られてくるとあります。平然と語られたたとえにとんでもない終末の事実が隠れているのです。