手ごわすぎる

2サム3:39「この私は油そそがれた王であるが、今はまだ力が足りない。ツェルヤの子らであるこれらの人々は、私にとっては手ごわすぎる。主が、悪を行なう者には、その悪にしたがって報いてくださるように」
ヨアブたち、あるいはヨアブはダビデにとって「手ごわい」と書かれています。手ごわいのヘブル語の「kasheh(カシェ)」は口語訳「手に負えない」新共同訳「手に余る」と訳され、英語では「too strong(NIV)」、「too difficult(NASB)」、「too hard(KJB)」となり、ダビデにとって扱いが難しくなっていったことがわかります。ヨアブはダビデの姉ツェルヤの子でもあり(1歴2:16) 、いとこのヨアブを簡単に役を解いたりすることもできなかったのも事実だと思います。しかし、アブネルはヨアブの兄弟を殺した仇であり、そこらへんもダビデは知っていたはずです(30)。ヨアブが不在のときに、宿敵アブネルと密約を交わすなどヨアブにとっては納得のいくはずもありません。ダビデの思惑とヨアブの考えは一致しませんでした。それでもダビデはアブネルのために泣き(32)、アブネルが亡くなったことは惜しいと演出しました。それは外交上の判断で、ヨアブのように個人的な恨みをはらすものではありませんでした。王の立場と将軍の立場の差が大きく現れ、これ以降のダビデ王朝の運営にも少なからずとも影響を及ぼす事件でした。