ウザによる割りこみ

2サム6:8「ダビデの心は激した。ウザによる割りこみに主が怒りを発せられたからである。それで、その場所はペレツ・ウザと呼ばれた。今日もそうである」
「ウザによる割りこみ」は新改訳独特の表現ですが、倒れそうになった神の箱を支えようとして何が悪かったのでしょうか?神の箱が倒れ、ふたが開いてしまい中に入っている契約の板が道に投げ出されることのほうが大惨事のようにも思えます。しかし聖書の記述はそうではありません。牛が神の箱をひっくり返しそうになったときに、あわてて神の箱に触れたウザは「不敬の罪(7)」を犯したと書かれています。原語ヘブル語では「shal(シャル)」が使われ、「過失」とか「失敗」を意味し、ウザが故意に神の箱に触ろうとしたのではないことがわかります。何事にも触れてはならない神の領域があります。知る、知らないに関わらず、その領域を侵すものは神の怒りにあいます。ウザはおろかダビデにさえ、この領域が見えていなかったように思えます。神の箱が自分の街に来ることはうれしいかもしれませんが、舞い上がってなにもかも無礼講にしたダビデにもこの過失の責任はあると思います。神の言われた方法で正しい運び方さえしていれば、ウザは死なずにすんだのかもしれません。