アーモンドを見ています

エレ1:11「次のような主のことばが私にあった。「エレミヤ。あなたは何を見ているのか。」そこで私は言った。「アーモンドの枝を見ています」」
アーモンドは新改訳の下に書かれた注解によると「見張るのシャカデの派生語」だとされています。ヘブル語では「shaqed(シャケード)」となり、新共同訳ではアーモンドのあとにカッコ付きで「シャーケード」とオリジナルの発音が書かれています。また口語訳では「あめんどう」とあり、アーモンドの古い言い方が採用されています。ちょっと意訳するなら「わたしは見張られるものを見ています」となり、次の主の「わたしは見張っているからだ(11)」につながります。主とエレミヤが同じ方向を見ていたので、その態度に主が喜ばれたようです。ちょっとことばの遊びのようですが、アーモンドには別の意味もあります。アロンが持っていた杖はアーモンドで、彼の杖だけは目をふき、花を咲かせ、実をつけた…と民数記にあります(民17:8)。そして契約の箱に収められ、マナのつぼと契約の板を合わせて三種の神器の語源になっています(ヘブ9:4)。また、聖所にある燭台はアーモンドをモデルにしています。アーモンドが「見張る」に似た発音なのは、神の選ばれた生きるべき命をもったユダヤ民族に目を向けるという大切な意味が含まれているのです。