心の包皮を取り除け

エレ4:4「ユダの人とエルサレムの住民よ。主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。さもないと、あなたがたの悪い行ないのため、わたしの憤りが火のように出て燃え上がり、消す者もいないだろう」
割礼はもともと肉体の一部を切り落とす行為でしたが(創17:11)、申命記には心の包皮を切り捨てるように初めて書かれ(申10:16)、エレミヤも同じことばを使っています。またエゼキエルは「心にも肉体にも割礼を受けていない外国人は、だれもわたしの聖所に入ってはならない(エゼ44:9)」と語り、割礼がただからだの一部を切り落とすだけの行為ではないことがわかります。新約でもパウロが「文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です(ロマ229)」と語っており、肉体的な意味はもはやなくなり、新しい契約では御霊を受けることこそ割礼なのだと説明しています。クリスチャンが子供が誕生したからといって、その子に8日目に割礼を授ける必要はありません。クリスチャンが誕生するのは心で信じることによって義と認められ、口で告白することによって誕生するのです(ロマ10:10)。それでも救われたことはスタート地点に立ったにすぎません。救われたとしても心の割礼を受けていないなら、神の民として数えられることもないでしょう。割礼と聖霊は密接な関係があり、無割礼の者は民から絶たれることも知っておく必要があると思います。