かたくなで逆らう心

エレ5:23「ところが、この民には、かたくなで、逆らう心があり、彼らは、そむいて去って行った」
すべてに満足しなければ神を信じないというのもおかしな話ですが、イスラエルの民はそうでした。「かたくな」は英語では「stubborn」でヘブル語は「carar(サラーエル)」が使われており、人の意見を聞こうとしない頑固な様子が感じ取れます。しかし、日本でも多くの宗教に属する人は「ご利益」を期待して、自分だけは富に囲まれ、健康で対人関係などに振り回されない人生があると信じているのです。キリスト教が果たして「ご利益」主義なのかははなはだ疑問ですが、そこにばかり目が行ってしまうのはちょっと問題です。願いが叶えられなければ他の神に走るイスラエルの民と共通な思いがあるからです。ヨブは「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならない(ヨブ2:10)」と言いました。良いものも悪いものも神を信じている者たちには平等に与えられます。たとえ誰かが裕福で、他の人がそうでなくでも、それは地上のほんの僅かの出来事に過ぎません。永遠を生きるのならば、120年の人生の間だけリッチでいたいと思うのは間違いです。すべてを神の名の故に受け入れられれば、その人は幸いだと思います。