私たちは救われている

エレ7:10「それなのに、あなたがたは、わたしの名がつけられているこの家のわたしの前にやって来て立ち、『私たちは救われている』と言う。それは、このようなすべての忌みきらうべきことをするためか」
未信者が教会の礼拝に1度だけ出席して、「わたしは救われました」というはいかがなものでしょうか?あるいは他宗教の人が教会にちょっと立ち寄っただけで「わたしはキリスト教を理解しました」というのも無理があります。神を知るにはそれなりの時間が必要です。クリスチャンになったから神のことがすべてわかるわけでもないでしょう。それはスタート地点にたったに過ぎず、神を理解するには聖書という膨大なことばに慣れ親しむ必要があります。エレミヤ7章には異教を信じたイスラエルの民への痛烈な批判が書かれています。毎日盗みをはたらいて、日曜だけ教会に来て主を賛美したところで主がその人を受け入れることはできません。イエス様は「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです(マタ7:21)」と言われました。人の見えるところでいくら繕って見せても、主は常に心の中を見られています。もちろん救われるには心に信じることと、口で告白することが必要ですが(ロマ10:10)、それ以降は御霊が実をならせ行ないが伴うようになるでしょう(ガラ5:22-23)。なにをすべきかは主が導いてくださると思います。